「何やっとんねん」 ドアを開けた服部平次は、裏拳こそないものの関西人なら一度は口にするだろう古式ゆかしきツッコミを入れた。 「おー、よく来たな。早速だが、こっち来て手ぇ貸せ」 ツッコミを入れられた小さな探偵は、呆れた半眼で見下ろす服部の視線など物ともせず、見るからに上機嫌な様相でそう宣った。工藤邸の二階の端。フローリングのがらんとした部屋の中心には、どうやって室内に運び入れたのか、そもそもどうやって入手したのかも謎な巨大な銀色の鳥篭がドドンと鎮座している。四畳半ほどもある檻の内部には、中央に毛足の長い毛皮が敷かれていた。 「何って……見りゃわかんだろ?」 呆れに脱力しきった声で問い掛ければ、さも当然のことのように素っ気ない答が放り返される。ニヤニヤを通り越してもはやニマニマと不気味な笑みを浮かべている子供が、いったい何を企んでいるのかなんて知りたくもない。しかし目の前の人物同様に『探偵』と名乗っている以上、いや、探偵でなくとも、この設えが何のための物かという意図は明白だった。事件に関わっている時以外は、平穏な日常を望んでいる服部の意志とは裏腹に。 ――飼う気なのだ。あの、白い鳥を。 「良いから、さっさとそこの寝椅子運んでこい」 鳥篭のなか。柔らかそうな毛皮の敷物の上に居る小さな探偵が、服部がぐったりと凭れ掛かっている扉のすぐ脇に置かれた寝椅子を指差しながら微塵にも遠慮もない指示を出す。クッションと背凭れに臙脂色のベルベットを張られたアンティーク物らしい寝椅子は、猫足部分が飴色に光るオーク材で出来た華奢な造りだ。服部などが無造作に寝そべったらうっかり細い脚が折れそうな気がするが、ウキウキと上機嫌の探偵の機嫌を損ねるのも恐ろしく、如何にもお高そうな椅子をおっかなびっくり持ち上げる。 「肝心の『中身』のほうは了承しとるんやろな……?」 平均身長よりも高い己の身長では屈まなければ入れない狭い入り口を椅子を抱えたままで注意深く潜り、そこに置け、いややっぱりこの辺、などと至極横暴にこき使ってくれる相手に、潜めた声で一応尋ねてみる。そして直後に「聞かなきゃ良かった」と激しく後悔した。 「大丈夫」 小さな子供の口元が笑みの形になる。ニコ、ではなくニタリと形容したほうが良い感じで。すっかりトレードマークと化した無骨な眼鏡が、窓から差し込んでいる春の爽やかな日射しに怪しくギラリと輝いた。 「すぐに俺なしじゃいられねー身体にしてやっから」 「……さよか」 いくら相手が犯罪者とはいえ、それは『誘拐』で『監禁』な上に、『調教』まで入っているマズい手段なんじゃなかろうか? 残念ながら、そんな当たり前のツッコミは目の前の人物には通用しそうにない。毎度毎度の容赦のない手管から嘲笑うように逃げている怪盗のほうも「貞操のひとつやふたつ捧げても吝かではない」などと暴言を吐くくらいには、小さな探偵のことを気に入っていたようだし。 ――と、そこで思い出されるのがつい2日ほど前の夜の出来事だ。 怪盗からの依頼で小さな探偵をショーに連れ出した後、こともあろうに現場付近の植え込みで腰を抜かしてふにゃふにゃになっていた怪盗のノロケを思い出して、服部は虚脱感に襲われた。怪盗曰く「犯罪すれすれの手段で追い掛けてくる小さな探偵さんが、あまりにも格好良すぎて腰が抜けました」――さすがにIQ400の規格外怪盗だ。好みがマニアック過ぎる。 『見ました、聞きましたっ? あの悪っそうな表情っ、そしてドスの効いた声での悪人っぽい台詞の数々……っ!』 探偵を居候先に送り届けて来た服部が現場に戻っても、怪盗はあの目立つ衣装こそすでに脱いでいたものの、まだ腰が抜けてその場から立ち上がることも出来ていなかった。見下ろした先で、初めに会った時同様の可憐な少女の変装をした怪盗は頬を染め、キラキラと瞳を輝かせている。そんな光景にも、悲しいかなもはや慣れた。 『私じゃなきゃ死んでいそうなあざといことを企んでいる時の名探偵の笑みと、あの「もしかして憎まれてるんじゃないか?」と、うっかり思いそうな容赦のない追撃ときたらもう……もうっ! ああっ、これだから小さな探偵さんの居ない現場なんて考えられないですっ!』 溜息ひとつ吐いて、ぐにゃぐにゃに弛緩しきっている怪盗の細い身体を猫のようにひょいと持ち上げる。そのまま服部の滞在用にと怪盗が予約したホテルに連れていくため肩に担ぐと、冷めやらぬ興奮に頬を薔薇色に染めたままの怪盗が双眸に夢見がちな光を宿したままで耳元でうっとりと捲し立てる。 『見て下さい、思わず録音してしまいましたっ。「オメー専用の特製の鳥篭を用意してやるよ」ですって! 何かプロポーズみたいじゃないですかっ! キャー、KID困っちゃう〜〜っ!』 ついでに時々押し殺した黄色い悲鳴と共に、背中をバシバシ叩かれた。お嬢さまっぽくキメた見た目の華奢さに反して、力持ちの怪盗の平手は結構痛い。知らない者が見たらただの酔っぱらいだ。知っている平次が見ても、酔っぱらいだ。酔いの理由が酒でなく、探偵からのスリルなだけで。 『あーもー何であんなに格好良いんでしょう! ああん、もういっそのこと捕まっちゃおーかしら〜? なーんちゃって、もうイヤ〜ン』 妄想逞しくピンク色のオーラを撒き散らせながらくねくねと身を捩らせる怪盗を、バイクの後部座席に落として無言で先ほどまで小さな探偵の頭にあったヘルメットを被らせる。バイクに跨ると当たり前のように腰に手が回された。 結局、ふにゃふにゃの怪盗は何とそのまま服部と同じ部屋に泊まっていったのだ。ひとつしかないベッドに「まあまあ」と言いながら押し入ってきた怪盗は、すでに心身共に疲れ切っている平次の横で、まるで修学旅行先の女子高生のように『あくどいことを考えている時や追い掛けてくる時の小さな探偵が如何に格好良いか』について夜通し囀ってくれた。
「あー早く飼い慣らしてぇなぁ……」 その時の怪盗と同じくらい陶然とした幼い声に、我に返る。視線を向ければ小さな探偵は、今はまだ空っぽの鳥篭を愛おしそうに撫でている。中に入るはずの存在を想ってか、籠の曲線をゆるゆると撫でるその小さな手の平の動きは恐ろしいことにやけに悩ましく艶っぽく、一言で言うならば卑猥だ。明らかに小学生のして良い手付きとは到底思えなかった。 「早く捕まっちまえ」 怪盗のように乙女チックに身をくねらせたりこそしていなかったが、陶然とした声と表情はとてもよく似ていた。怪盗とは違う意味で、背筋がゾクゾクする。空の鳥篭を見つめて吐息を吐く探偵の熱を帯びた視線には、思わず額に冷や汗が浮かんだ。――コイツは、こんな小学生の身体のままでいったいどこまでする気なのか……。想像するだけでも恐ろしい。 服部の知る限り、怪盗と探偵は一度もマトモにそういう会話をしたことがないはずだ。それなのにある意味でしっかり意志の疎通が出来ている辺り、本当に手に負えない……と言うか、関わりたくないと思う。うざったさのあまりに、すぐにでもさっさとくっついてしまえ! と思う反面、お互い片思いの今でさえこれだけアテられているのが、両想いになってしまったらどれだけ被害が広がるのかと思うと恐ろしくてとても試す気になれない。 「あーそうだ。次の予告が出るまでに、灰原にも特製の媚薬頼まないとなー」 メロメロにしてやんよ! 喉の奥でクツクツと哂う、その表情はどこから見ても悪人面だ。小学生のしていい表情でも、仮に本来の高校生が口にして良いことでもない。小さな子供から聞こえてくる浮かれた様子の鼻歌は、歌い手の歌唱力のせいもあって実に不気味で不吉だった。 ――しかも、何で上機嫌で歌う鼻歌がダースベ●ダーのテーマなんや! とは、とても服部からは聞きたくても聞けない。聞こえない振りをするしかない。そして、そんな自分が口に出来るのはこんな程度の『ささやかなお願い』だけだった。 「工藤……頼むから俺の前で犯罪予告はせんといて」 せめて、恋のスリル・ショック・サスペンスを共有するのは、当人同士だけにして欲しい。そんなささやかな願いは、まだしばらく――下手をするとこの先も叶いそうにない。 小さな探偵との対峙で感じるスリルが手放せないほど大好きなのだと言い放つ怪盗が、すでに違う意味で探偵なしで居られない身体なのだということは、己の精神安定上もうしばらく内緒にしておこうと思った。 「早く捕まっちまえ」 服部のギリギリの訴えなどまるで聞こえぬ素振りで、怪盗がこの場にいたら間違いなく感極まって腰を抜かしそうな悪人顔で、コナンはうっとりと目の前に本人が居るかのような熱烈さでもう一度そう言った。
麗らかな春の日射しのなか。服部の脳裏には火曜サスペンス劇場のテーマソングがエンドレスで流れ続けている。
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