「西の善きマゾ」
「――申(も)し」 時代劇にでも相応しい古風な呼び掛けは、か細く、とても控えめでありながらも非常に切実さを忍ばせたものだった。 「申し。そこな西のお方……」 振り返ったら茣蓙を抱えた夜鷹か、幼子を抱えた女幽霊でも居るのではないかと思うような、密やかな溜息にも似た声が再び控えめに掛けられる。 2度目の呼び掛けには恐らく己のことを言わんとするのだろう呼称が混ざっていたので、服部平次は少しばかり虚空を睨んでから、覚悟を決めたように声の発生源であろう位置を振り返った。 休日の午後7時半。大阪駅から程近い、未だ人と店灯りの賑わう表通りから一本隔てた裏通り。閑静と言えば聞こえが良いが、実際には閑散とした通りの、更にビルとビルの隙間に、その人物はひそりと居たたまれぬ様子で佇んでいた。 「ああ……足をお止め下さって有り難うございます」 マーメイドラインを描く踝までもある長いスカートの前をぎゅっと握り締めていた両手が、ふっと安堵に開かれる。花開くようにスカートの裾がふわりと広がるのと同時に、酷く思い詰めていたような気配も柔らかく解けたようだった。 「なんや」 瞳を眇めて闇のなかを透かし見るも、未だ暗がりに身を置く相手の顔は見えない。辛うじて街灯の灯りの届く、アイボリーの品の良いスーツを着た腰から下だけが見えるだけだ。薄茶のパンプスと長いスカートの間から垣間見える足首は細い。腹の前に祈るように組まれた指は白く長く、桜色のマニキュアの塗られた爪先まで奇麗に整えられていた。 僅かに示されたそれだけでも、相手が若いということは充分見て取れる。そして、探偵の勘が誤っていなければ、相当に美形だろう。身体の末端の造形が整っている場合、大概他も整っているものだ。それは生物学的にも、過去の経験にも裏付けされた、服部の持論であった。 「俺に用かいな」 「実は、そうなのです……。西のお方にしかお願いできないご相談がありまして……それで、こうして失礼を承知でこのような場で声を掛けさせて頂きました」 声は、未だに迷うように時折途切れつつも鈴の音のように可憐だった。 「あの……少し、お時間を頂いても……?」 怖ず怖ずと震えた小さな声が、祈るような響きで耳を打つ。身体の前で組まれた優美な指先が、再び緊張のためか強く握り締められた。 服部は先ほど振り返るべきか否かを思考した時同様、再び虚空を数秒睨んでから、はぁ、と小さく溜息を吐いた。 目の前の人物の纏う、儚くも心許なげで居てさえ華麗で冷涼な気配には、幸か不幸か心当たりがある。どこぞの小さな探偵に、耳にタコができるほどに聞かされていたので。 「そら、かまへんけど……何でそないな格好しとるんや」 ――KID…。 「西の名探偵と謳われる殿方に、恥をかかせたくはありませんから」 ――それなりに装わなければ、女性の趣味が悪いなどという悪評が立ちますでしょう? 「あ、それとも……、このような容色では西の名探偵殿の隣りに侍るに足りませんでしたでしょうか? 出来る限り上品に…と、私なりに考慮したつもりだったのですが……」 もしくは、この手の装いはもしや西の方のご趣味に合いませんでしたか? アイボリーの腰を絞ったラインの品の良いスーツと、襟元と袖口にひらひらと襞のついた白のブラウス。不安げにくるりとその場で回って見せた怪盗は、どこからどう見ても「どこぞの箱入りのご令嬢」といった風情で、容姿から衣服まで極上の見目麗しさだった。老若男女問わず、擦れ違った10人中9人は振り返らずにいられないような。 思わず乾いた笑いを浮かべてしまっても仕方がないだろう。 逆だ。とんだ勘違い。 「やりすぎやっちゅーねん……」 極上の美少女と肩を並べて歩いていた…などと噂が立っては、逆に周囲から何を言われるかわからない。特に、あの幼馴染みの少女には。
取り敢えず、場所を変えて……。と。 お嬢様然とした怪盗の変装に似合いの、府内でも有数な一流ホテルのカフェラウンジに腰を落ち着けて。至極上品かつ可憐な仕草でカフェオレのカップを傾ける相手に、ブレンドを啜りながら開口一番に告げておく。 「言うとくけど、工藤を止めぇっちゅーのは無理やで? あいつ、自分にホンマご執心やからな」 あんまりにもギラギラした瞳で「見てやがれよ……俺が絶対にひっ捕まえて、あの白い羽根むしり取って二度と飛べないようにしてやる」などと言うので。挙げ句にククク…と、小学生には(いや、姿が本来の高校生であっても)有り得ないような、壮絶な笑みでの舌なめずりなどというものを見せられたので。 うっかり「どっちが悪人や」と本心を漏らして蹴り飛ばされたのは、つい3日ほど前に行われた怪盗のショー直後のことだ。 何というか、余りにも近くに自分以上の執念を燃やす同業者を見て、服部自身は怪盗に対する熱意を根こそぎ持って行かれたような感がある。むしろ、あの小さな探偵の表情とセリフを目の当たりにしてしまったことで、あんな厄介な相手にストーカー宣言をされた怪盗に同情すら芽生え始めていたりするこの不思議。 「あと、自分の仕事に荷担せえっちゅーんも、当然無理や」 目の前の人物とこうして『お茶』などをしてしまっているものの、一応自分も『探偵』の端くれなので。 「そのようなことをお願いすると思われていたのなら、心外です」 案の定、目の前の美少女は僅かに眉を寄せて憂いの表情を浮かべる。 「私としましては、ああも熱心に追い掛けてきて下さるのは、むしろ願ったりと申しますか……」 カップを子供のように両手で包み込み視線を逸らして、桜色の唇が恥じらうようにポツリと零す。恋に頬染める乙女の如き表情と仕草に、服部は何とも言えないような嫌な予感と悪寒を覚えた。 「あんな……ぶっちゃけ自分、貞操の危機やって自覚あるんかい……」 間違いなく、あの探偵の執着は『そういう』方向だ。 それくらいは、如何に恋愛事に疎いと言われている自分でも、嫌でも気が付く。 捕まったら即「お持ち帰り」でフルコースだろう。目の前の人物は元々、すべての探偵にとって垂涎のメインディッシュでもあることだし、食い尽くされることは想像に難くない。 実際にあまり口にしたくない話題ではあるが、服部としてはいくら相手が犯罪者とはいえ、相手が誰であれ、みすみす性犯罪の被害者にしたくはなかった。 直截な表現に、怪盗はボッと顔を真っ赤に染めた。 「え……え、と……。まぁ、そういう可能性も存じておりますが」 探偵としての勘と言うべきか。3日前に探偵の恐ろしい宣告を聞いた時と同じ、不吉で不穏な気配。 そわそわ。もじもじと恥じらい落ち着かない様子の怪盗を前に、ちょっと……いや、かなり聞きたくなくなってきた服部だった。 「正直、あの方の望みや思惑とやらはどうでも良いことでして……ぶっちゃけ、私の貞操のひとつやふたつ惜しくはないのです」 ――ええんかい。 案の定、返ってきたのはロクな返答ではなかった。
「今更申し上げるまでもないかと思いますが……私、あの方のことを好ましく思っておりまして」 別に先を促したわけでもないのに、頬を染めた怪盗扮する美少女はなおも恥じらうような仕草でテーブルにハイスピードで「の」の字を書きながら続ける。
「あの方が私を追う時のあの残虐な表情、あのドスの効いた声音……もう、何と言いますか、あの方が私に向ける全てに感じる、こう背筋がゾクゾクするような心臓が破裂しそうなドキドキ感……堪らないんです」
頬を染めて、やや潤んだ群青の瞳が陶然とした光を浮かべる。紡がれる声音はふわふわと熱に浮かされたように甘く、熱を帯びていた。 「あの悪魔のような狡猾な瞳に見据えられるともう、例えようもない至福と申しますか…快感を感じるんです。その上であのお方の裏をかいて、ギリギリで逃げ切るあのスリルと言ったらもう…っ!」 あの方を始終お隣で見ていらっしゃる、西のお方にはおわかりになりますでしょう!?
――わからない。と、言うか、理解したくない。
「正直、私も色々と厄介な事情を抱えてまして……そのくらいの役得がなければ、馬鹿馬鹿しくて怪盗続けていくのも辛いと申しますか」 だって、私の敵ときたらあるかどうかもわからない「不老不死」の伝説がある宝石を探して、人の父親派手に爆発事故で吹っ飛ばすようなクズなんです。父の敵でなければ、一生関わりたくないような阿呆で痴呆の集団なんです! しかも街中で銃なんてぶっ放してくれますし!! 怪盗は可憐な唇を不満げに尖らせて、ダンとテーブルを叩いた。
あーあー、謎が解けていく〜〜〜♪
西の探偵の両肩に果てしなく、途方もない疲労感がずしりと襲ってきた。 クラスの担任や風紀委員への悪口を言う女子高生なノリで、アッサリと神秘のヴェールに包まれていた怪盗の謎を語らないで欲しい。
「あの方のわっるい顔を見て、癒されたい……そう思ってしまっても、仕方がないとは思いませんか!?」 もーホントに何か企み事をしている時の名探偵のお顔の、何と魅力的で魅惑的なことか…! 腰抜けそうになりますよね!!
「……さよけ」
何だ、こいつら両想いやないかい! しかも甚だマニアックと言うか、変質チックな方向でお似合いな規格外だ。キチガイだ。 着いていけない。むしろ、着いていきたくない。 何というか、こう「俺はもう駄目だ…! このままここへ置いて行ってくれ!!」という心境だ。
「……あの、ですから西のお方にお願いしたいことと言うのは、他でもありません。今後とも、出来うる限り名探偵の足になって、私の舞台にいらして欲しいのです」 ――東都への往復交通費と宿泊費用などの経費は勿論、私が持ちますし。なんでしたら、他に色をお付けしても構いませんから。 「是非とも、あの方の実力が遺憾なく発揮できるお手伝いをお願いしたいのです」
――やっぱり、聞くんじゃなかった。
「あ、でももし私の敵が絡んできて危険そうな時には、予めお伝えしますので、その際には可能な限りあの方を巻き込まずに済むよう、上手く誘導なり足を引っ張るなりして下さいね。いくら私の精神安定剤とはいえ、そんな勝手な事情で名探偵を危険な目に合わせるわけにはいきませんから」 ――これ、私の携帯の番号とメアドです。あなたからの着信は、可能な限り仕事中でも出るように致します。
差し出された紙片は、ゲーセンで作ったのだろう写真入りのポップでカラフルな名刺だった。『黒羽快斗(クロバカイト)』という丸っこい文字の上に、にぱっと全開の笑みを浮かべて扇状のカードを拡げた学ランの少年の写真。
「………」 確保不能・正体不明の怪盗紳士の本名及び、携帯ナンバーゲット。
服部平次は、乾いた笑いを浮かべた。瞼が熱いのは、心の汗が滲みだしたからだ。泣いているわけじゃない。泣けてきただけだ。
「お願いします、西のお方……こんなことをお願いできるのは、名探偵のご正体をご存じで、同じ高校生探偵として肩を並べあの方の信頼厚いあなたをおいて他には居ないのです……」
出来れば、自分のこともおいて欲しかった。
ついでに、目をウルウルさせながら両手で服部の手を握りしめて上目遣いで見るのも、ちょっと勘弁して欲しい。
「お金で不充分と言うことでしたら……不足分は、あの……私の身体でお払いしても」 「じょ、冗談やあらへんっ!!」 視線を落として頬と目元を赤らめながら、何をおっそろしいことを提案するのか。
「ですが、私には他にお縋りする方が……」
周囲からの視線が、痛い。容赦なくグサグサと突き刺さっている。 ここで断ったら、明日にでも自分の名は地に落ちるだろう。
「なぁ……俺、ちょお泣いてもええかな……」
西の人の善き服部平次は、涙で滲んだ半眼で力なく笑った。 泣きたいのはこっちだ。
そして、明日はどっちだ。
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