衣装を纏え ― Noah's ark 2005 ―

 

 

衣装を纏え。衣装を纏え。

客はお前のショーが始まるのを、今か今かとを待っている。

お前を、待っている。

 

――衣装を纏え。

 

 

どんな時でも、この手は。

感情すらも、この心は。

忘れて。

切り離して。

塗り潰して。

この手は、機械のように、正確に。

どんな時でも自動的に、淀みなく、動く。

 

 

衣装を纏え。衣装を纏え。

 

 

『サーカスの中で、一番偉いのは道化師なんだよ』

父の、穏やかな声が。

『マジシャンたる者、いつ如何なる時でも…』

父の、穏やかな笑みが。

脳裏に蘇る。

 

腕を通したシャツのボタンを、半ば無意識に白の手袋に覆われた指先がテキパキと填め。続いて、染みひとつ無い純白のジャケットを羽織る。

 

 

衣装を纏え。衣装を纏え。

観客が待っている。

 

 

シュッと、シルク独特の耳に心地よい小さな衣擦れの音。鮮やかな朱色のタイを、慣れた指先がウインザーノットで括る。

一瞬だけ、そのまま絞め殺したいような衝動を感じたが、それは本当に一瞬だけのことで。

そんなことを感じた次の瞬間には、右手は既にスタンドに掛けられた白い翼に伸ばされていた。

 

* * *

 

室内から聞こえる軽快な口笛の音。閉ざされたドアの前で、探偵は唇を噛み締めて、ただ立ち尽くす。

 

衣装を纏え。衣装を纏え。

 

繰り返し、繰り返し。執拗なまでに刻まれるフレーズ。

本来は狂気的にまでの切なる怒りと絶望を歌うアリアなのに、「彼」の唇から漏れる音色はどこか軽妙で軽快で――軽薄で。朗らかさすら感じさせる。それが「彼」の狂気と絶望を、逆に知らしめる。

「彼」は今宵も、あの白の衣装を纏い、空を飛ぶ。

もう、その必要などとうの昔に喪われているというのに。

そして、今の探偵にはそれを止める術がなかった。

 

この声は、「彼」の耳には届かない。

この姿も、「彼」の瞳には映らない。

『工藤新一』である自分では、届かない。

 

あの、小さな手と。小さな身体。

当時はあれ程疎んでいた、あれ程もどかしいと思っていた、あの小さな手だけが。

あの、今は失ってしまった『江戸川コナン』の小さな身体だけが。「彼」に届くのだ。

 

何という皮肉だろう。

 

嘗てはあれ程容易く、江戸川コナンの小さな短い腕で触れることの出来た「彼」なのに。漸く取り戻した工藤新一の長い腕が、「彼」に届くことはない。

 

何故なら、「彼」の中の、ただひとつの黎明であった『江戸川コナン』という存在は、永遠に喪われてしまったから。

「彼」は『工藤新一』を視ることはない。『工藤新一』の声を聴くこともない。

 

だから、この手は届かない。

この声も、届かない。

 

 

白く凍った、釣り針のように尖った月光の下。

今宵もまた。

朗らかな、狂気の。陽気な、壮絶の。

白の奇術師の、絶望のアリアが聞こえる。

 

 

 

QUIT.

2005.2.20. GUREKO


2月オンリーの原稿修正中に、以前書いていた遺物発見(爆)

甚だ今更チックに上げてみる…。すみません、続編モノです。前の話は既に配布期間終了しているので、上げるのどうしようかと思っていたのですが(^_^;)

「愛の嵐」的擦れ違いラブ(アイタタ…!)

あ、作中のフレーズ(曲)は、オペラ「道化師」に使われているクライマックスシーンのテーマ曲「衣装を纏え(又は 着けろ)」と言うことで、実在してます。私はCDでしか聴いたことありませんが…(^▽^;)

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