× 闇色紳士的20題-14 ×
「例えば人に言えないあんな事?」
夢うつつの微睡みのなか、すぐ傍らにあった温もりと甘い香りに、寝惚けたまま誘われるように手を伸ばして引き寄せた。両腕のなかに囲われた温もりは、柔らかく細く儚くも強靱なしなやかさで、従順に身を寄せる。 首筋に掛かる甘い吐息と、滑らかで長いシルクのような髪の感触が、こそばゆい。 「――しん…いち…」 耳元を擽る甘やかで柔らかい少女の、睦言染みた囁き。 「……?」 くすくすと、羽毛のような笑い含みの、声。聞き慣れている幼馴染みの、しかし一度も聞いた覚えのない甘い、声。 「起きて…? 新一…。もう、お昼だよ…?」 「……っ!?」 大気圏を突入するスペースシャトルのように、一気に夢の世界から現実へと突き落とされた探偵が、ギョッとしたように目を開く。 「おはよv お寝坊さん…?」 腕のなかに居たのは、何処からどう見ても、少しばかりエロティックに制服を乱れさせた幼馴染みの少女。 「……なっ…な……っ!?」 目も口もあんぐりと、常のクールな外面なども数万光年は彼方へと飛び去ってしまったかのような惚けた表情で、新一は絶句する。毛布のなかで絡み合う、少女の華奢でいてしなやかな素足の感触。 呆然と。愕然と。記憶にない過去を、寝起きの頭でフル回転させて脳内検索するも、そんな状況になった要因など全く見つからず。しかし、目の前の現象は、やはり何度瞬きしてみても、頬を抓っても消えない現実として変わらず。
「もう…どうしたの? 新一ってば…。――ヤダ、もしかして、まだ寝惚けてるの…?」
少し、頬を染めて、怒ったように首を傾げる。掛かる吐息は、相変わらず近すぎて甘ったるい。
「――アンナコトまで、しておいて…忘れちゃった……?」 「はぁっ!?」
ポツリ、と。消え入りそうに、咎めるような声で呟いて、毛布のなかに顔を埋めてしまう。そんな記憶は微塵もないまでも、その台詞に、現状に、反射的にざあーーーっと、血の気が退いた。
「あ、あんなことぉ〜〜〜っ!?」 ――と、言うと。やっぱり「あんなこと」や「そんなこと」のことだろうか? 相変わらず、全く身に覚えも、身体に名残も無いそんな行為を、自分とこの幼馴染みは本当にヤラカシテしまったのか!? いや、しかし。コナンになる前と、その後暫くの間はともかく、現在の処工藤新一にとって『毛利蘭』は、相変わらず一番大事な幼馴染みではあるものの、既に恋愛対象ではなくなっていて。 今の新一を惹き付け、捕らえて離さないのは――何処までも高い、秋の空のような、柔らかで澄んだ群青。月下の淡い光の下で、燐光を放つように際立ち、凛と涼やかに立つ、白い影。…の、はずで。
「……新一?」 「――ら、蘭っ…! 俺っ!? …いや、あのな……っ!?」
毛布の端から上目遣いに覗く、不安そうに、揺れる瞳。
「昨夜は、あんなに激しく求めてきたくせに…」
再び、毛布のなかに隠れてしまう、目元。熱が伝わるほどに近い肩が、小刻みに震えている。 制服のシャツの隙間から覗く首筋が、長い黒髪から覗く耳が、薄く朱に染まっていた。
「〜〜〜〜〜っ!?」
それにあたふたと。わたわたと取り繕うように。言葉もなくただ、慌てふためく。 日頃の沈着さも、冷静な判断力も、欠片も見つからない。失踪してしまったらしい「判断力」も、完全に行方不明だ。
「――ぶっ…」 「…あっ?」
どう取り繕おう、とか。どう言い訳をしたら…とか。俺には心に決めた奴が…! とか。 グルグルと回るだけで一向に役立たずの胡乱な思考で、何とか現状を正しく把握し、ついでにこの場を丸く収める方法はないものか…と、新一が完全にパニックに陥ったその瞬間。 目の前の可憐な唇から漏れた異音に、首を傾げる。
「――ふっ……くっくっ…」
間近の細い肩が、小刻みに震えている。
「……らん…?」 「くっくっく…」
喉の奥から漏れ出す、くぐもった小さな嗚咽――いや。
「ぶぁっはっはっはーーーーーっ!」
忍び笑い。そして、とうとう耐えきれないとばかりに、腹を抱えて爆笑するのは――。
「…くっくっ、昨夜…は、たいそ…う、…ククッ、激しく追って…下さっ、た…ぷぷっ、と言うのに……あはは! 忘れちゃった…なんて、ひどいわぁあ〜〜〜〜っ! ぎゃはははは!! めいたんてーってば、面白過ぎぃ〜〜〜〜っ!!」
昨夜の、対戦相手(そして現在の新一の懸想相手)だった。
「×※#*%@k〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
一瞬後。 とてもではないが言語として認識できないような、意味不明・奇々怪々の雄叫びのような、絶叫のような大声が隣家の二階、現在唯一の住人である工藤新一の寝室から響き渡り。
「とうっ!」 庭に面した大きなテラス付きではなく、灯り取り用の小さな窓から威勢の良い、しかし緊迫感の欠片もない掛け声と共に飛び出してきたのは、彼の幼馴染みの長い黒髪の少女で――。 「…っ!?」 庭の花壇にじょうろで水をやっていた灰原哀は、一瞬有り得ないモノを見た人の常で、ぎょっとしたように息を呑んだ。 猫のような柔軟さで、空中でくるりと身体を丸めて一回転した『毛利蘭』が、トン、と。軽やかな足音のみで阿笠邸の庭先へと着地した。 次いで『彼女』の飛び出してきた窓から、バラバラと寝込みを襲われたらしい彼の投げた目覚まし時計や辞書、筆箱や花瓶が降ってくる。 「…10点満点♪」 着地後の『彼女』の唇から漏れた楽しげな声音に、漸く目の前の人物が『見た目通り』の者ではなかったことと、隣家で起きたのであろう大まかな事の顛末に合点する。
「……相変わらず、仲がいいのね」 背後も確かめずに、頭上から降ってくる物たちをひょいひょいと受け止めては何処かへと仕舞い込む『彼女』に、哀は庭の花壇の水やりを一時中断して、淡々とした声を掛けた。 「あ、こんにちは、哀ちゃんv お邪魔してます♪」 何処から見ても毛利蘭の姿と声で、夜は「怪盗KID」、昼は「単なるエンターティナーな高校生」であるところの黒羽快斗がにっこりと笑う。
「黒羽ぁあああーーーーーっ!」
頭上から轟く寝起き特有の掠れた怒声にふたり揃って見上げた隣家の窓には、正に寝起きそのものの乱れた髪と、乱れた表情の『日本警察の救世主』の姿。
「おはよう、お寝坊さんv」 「…おはよう、工藤君」
怒りか羞恥か、恐らくはどちらにも均等にであろう紅潮した顔に、それぞれ朗らかな笑みと醒めた視線で応じる。
太陽はとっくに昇りきり、時刻はもはや午前と午後との境界線だ。どんな方法で起こされたにしろ、隣家の探偵に対する同情と憐憫の余地はないわね…と、哀は内心で溜息を吐いた。
「……貰い物の、ケーキがあるのだけど」 「有り難くゴチソーになりますv」
まだ頭上から姦しく降ってくる日本語未満の意味不明な叫びを、申し合わせたようにふたり揃って綺麗にスルーし、素っ気なく踵を返す少女の後ろを、軽やかな足取りで怪盗が着いていった。
「いやぁ、ホントに『あの工藤新一』が、こんなにオモロイ奴だなんて知らなかったよ〜。今までの人生、損してたなぁ〜〜♪」
『メイタンテイ
「――私も、彼にあんなにマゾ気質があるとは知らなかったわ…」 「へぇー? メイタンテイってばマゾなんだぁ〜」 「ええ、それも重症ね…」
これだけ弄ばれ虚仮にされていても、全く変わらない怪盗への執着ぶりには、正直呆れを通り越して感心すら覚える(いや、そう言えばむしろ彼は逆境に燃えるタイプだった)。
「紅茶とコーヒー、どちらが良いかしら?」 「あ、今日ね! こないだネットで見つけて取り寄せた、バニラカラメルのフレーバーティー持ってきたんだ〜v それにしてもイイ?」
しかし、彼の執着のお陰で哀が昼間の怪盗と友好的な関係を結べたのは、稀なる幸運だろう。 それなりに探偵を気に入っているらしい怪盗の、探偵に対する扱いと隣家の少女に対する扱いの大きすぎる落差に、毎度律儀にギリギリと歯噛みし、地団駄を踏んで悔しがる探偵の姿を眺めるのも慣れてしまえば微笑ましい。更に、近頃は此方を眺める探偵の、何処か年相応の僻みと拗ねを滲ませた表情に、密かな優越感すら覚えてしまう自分も、大概サドなのかもしれない。 現在、最も精神的な被害(と、偶に物理的な被害)を被っている、哀れな隣家の探偵には、決して言えないが。
哀がそれを知ってしまったのは、損得どちらなのか甚だ不明だった。
QUIT.
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