× 闇色紳士的20題-05 ×
「 Suit(スーツ)」
――スーツに皺が寄るから嫌です。 ソファに身を預けたまま請うように差し伸ばされる腕を、くすくすと微笑みながら、そんな戯れ言で拒絶した。
「今夜はそう来るんか…つれん情人に会いに、せっかくわざわざ上京してきたちゅーのに……」 ――ホンマ、冷たいやっちゃなぁ…。
途端にガックリとした様子で、「西の名探偵」と称される青年が大仰に肩を落とす。事件現場では精悍な彼は、大阪人ということもあって、こういうコミカルな三枚目のような言動を取ると、妙に愛嬌がある。それでも、油断をすればガブリとやられるような適度の緊張感は、常に味合わせてくれる。
彼とのこういう三文芝居染みた掛け合いは嫌いじゃない。 東の彼とでは、戯れるには互いの持つ牙が鋭すぎる。 倫敦帰りの彼では、真摯すぎて滑稽になってしまう。
半分本気、半分冗談なノリで。禁じられた恋の真似事をするのなら、西のが丁度イイ。 ライトなのもハードなのも。プレイの仕様からシチュエーション。その日のノリと気分次第で、気軽に選ぶ。ラブホの部屋を選ぶみたいに、ちょっとした興奮と好奇に任せて。
「せやけど、これならどうや?」 屈託のない笑みを浮かべて、鞄の中から取り出す、可愛らしいラッピングを施された包み。プリントされたロゴは、怪盗も知る関西では有名な洋菓子店のもので。
「この時期限定のメレンゲ菓子やで?」 数もようけ作らんから、手に入れるのにホンマ苦労したわ…。
子供のような苦笑い。
「おやおや…西の名探偵殿ともあろうお方が、まさか〈それ〉が原因で、本日のショーに間に合わなかった…などとは仰いませんよね?」
探偵の手の中にあるそれに気が引かれた振りをして、それでも少し意地が悪い笑みを浮かべて問う。長い髪を指に絡める女のような仕草で、細く長い指先でモノクルを弄ぶ。 それが、興に乗った時の怪盗の癖なのだと、彼には知らせてある。そういう「設定」。
「それが、そのまさか…なんや……」 たはは…と、情けない表情で頬を掻きながら言う。それに怪盗は上機嫌の笑みを浮かべた。
「あないに長いこと並ばされるとは、ホンマ、思ってもみんかったで…」
情けない表情で疲れ切った溜息を吐く探偵に、くすくすと笑う。アドリブにしては、なかなかのものだ。東の探偵も相当な演技派だが、西のも意外と「騙される振り」が巧い、と思う。それも、気に入っている。
――それが、嘘だと知っている。そして、探偵も怪盗が嘘を見抜いていることを、知っている…はずだ。 東都は工藤新一のテリトリだから…そして、彼も怪盗を追い求めるひとりだったから、きっと見えないところで攻防があったのだろう。来た時から腰を下ろしたままのソファ。西の探偵の臑の辺りに、注意して見なくても目に飛び込んでくる、綺麗に靴底の形に残っている足跡。見た瞬間に吹き出さずに堪えた自分を、褒めて欲しいくらいだ。
――自分はどうやら、世界中の探偵たちが垂涎で待ち侘びるメインディッシュらしい。 「捕らぬ狸の皮算用…」 待ち侘びたところで、口に入らぬものを…全くご苦労なことだ。呟いて小さく鼻で嗤う。
「何や?」 不敵な笑みで吐いた怪盗の呟きに、呑気な声が掛かる。 何事もなかったかのように口元の酷薄な笑みを一瞬で消して、にっこりと微笑んだ。 探偵が片手で得意げに掲げるお菓子の箱に釣られるように、足音もなく猫のように歩み寄り、ぐったりと弛緩してソファに腰を下ろす探偵の膝の上に、ゆっくりと向かい合うように腰を下ろす。甘えるように、媚びるように首に手を回して抱きついた。
「…スーツ、ええんかい?」 皺になるから嫌、なんやなかったんか?
笑い含みにそんな軽口を叩きながらも、探偵の空いた片手は慣れた様子で、ごく自然に白いスーツに包まれた細い腰に回る。
「両手が塞がってしまったので、食べさせてくれないと困ります」
問い掛けは綺麗にスルーして、膝の上という不安定な体勢を口実に、がっちりとした探偵の肩口にするりと両腕を回して、精々可愛らしげに首を傾げて強請る。
「甘えたやなぁ…」 「
触れ合う寸前の間近で交わされる、表面上だけは甘い視線と忍び笑い。怪盗の腰に腕を回したまま、手探りで包みを乱暴に破り、力を入れて掴めば簡単に割れてしまう儚い甘味を、目の前の唇へ放り込む。怪盗は菓子を摘む指先ごと、その淡い菓子を銜えた。熱く湿った口内で、それはホロホロとすぐに溶け崩れていく。
「どや? 美味いか?」 「ん…甘い…です……」
仕上げに、子供のような拙い口調で答え。含んだままの指を、残された甘みを味わうようにじっとりと丹念に舐める。途端に腰を下ろした身体の下で、探偵の欲望が急激に主張を始めた。それに怪盗は満足げに瞳を眇める。
情に厚く、曲がったことが嫌いな、ある意味非常に健全な西の探偵が。あの苛烈で鮮烈な光の魔人を裏切って。謀ってまで、求められるという甘美。 裏工作や、違法行為には縁のなかった西の探偵に、狡猾な嘘と虚偽のテクニックを教え込んでいくのは、思っていたよりも楽しくて仕方がなかった。
「西、の…」 誘うように誘う呼び掛けの音は、西の探偵の貪欲で乱暴な口付けに、甘いメレンゲ菓子のように舌の上でホロホロと溶けて消えていく。
乱暴に、性急に。節の立った浅黒い指が、存外器用に怪盗の纏う純白を剥いで、床に放り出した。
「ホンマ…嘘吐きやな……」 「……っ、ん…ふっ…」
前を寛げた白いスラックスの中に、躊躇無く無骨な手が進入する。先端に滲んだぬめりを指先に絡めて、扱くように擦り上げれば、怪盗が背中に回した両腕に力が篭もり、肩口からは押し殺した声があがった。
「何や、もう勃っとるやん」 「あ……や、っ…!」 揶揄するように、意地の悪い口調で指摘した。耳に息を吹き込めば、薄い青のシャツ越しに、ビクリと細い背中が震えた。
「んっ……ぅ、――で、も…貴方は、騙されて…下さ、る…でしょう……?」
淡くまろい間接照明の仄かな光が、白い肌に淫靡な陰影をつけて誘う。 口元に子供のような笑みを浮かべて、見つめる視線は壮絶な蒼。深く凪いだ双眸に、情の欠片も無い。濡れていても強い輝きは、暗闇のなかで、光る猫の瞳にも似て。
因幡の兎。
「――どっちがケモノなんだか分からんわ…ホンマに」
それでも、今更知ってしまった禁断の味は手放せない。
追い掛けっこのような、駆け引きめいた、こんな関係が好きだ。
東のでは洒落にならない。 倫敦帰りでは優しすぎる。 だから、アンタに決めた。
三文芝居のなかの出来事のように、冗談で済ませて。それでも飄々とした気易い振りのギリギリで、互いに喰らい合うチャンスを伺うような、恋の真似事。
淫らで乱れた音と熱に支配された室内で。無造作に床に放り出された怪盗の白いスーツが、所在なげに。手折られた花のように、窓から差し込む月明かりの下。銀の燐光を放っていた。
QUIT.
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